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大統領の招きでアメリカを訪問

、トルーマン大統領の招きでアメリカを訪問し、各地で演説を行ったが、1946年3月5日にミズーリ州フルトンで行った演説でヨーロッパの東西分断を評した「鉄のカーテン」演説を行い、アメリカ・ソビエトを軸にした冷戦の到来を予言した。

1951年の総選挙で保守党が勝利すると、チャーチルは再び首相に就任したが、二度目の政権は国際問題に悩まされ、大英帝国の衰退を告げる下り坂の時代に終始した。また、脳卒中の発作にも悩み、アンフェタミンを服用しなければ演説が出来ない程までに体力は低下していた。

まず選挙の年には、イランでモハンマド・モサデク首相がイギリス系の石油会社アングロ・イラニアン石油の国有化を宣言し、イランの石油権益が失われた。植民地ケニアでは、キクユ人による抵抗運動から1952年に非常事態宣言が発令されてマウマウ戦争に発展し、イギリスは植民地政策の転換を迫られた。マレーシアでも独立の機運が高まって反英ゲリラの闘争が頻発し、近い将来にマレーシアが独立することを承認せざるを得なくなった。

アトリー労働党政権とは逆に、鉄鋼や運輸分野において非国有化を行った。

1955年、チャーチルは首相職をアンソニー・イーデンに譲り、引退した。1963年にはアメリカから名誉市民権を贈られたが、チャーチルはその頃には病気で式典に出ることができなかった。その頃には頻繁に心臓発作をくり返すようになり、次第に恍惚状態になることが多くなり、一日に頭がはっきりしているのは2、3時間という有様であったという。1965年1月24日、チャーチルは病没し、平民のためとしては史上初となる国葬によって葬られた。

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2008年12月06日 17:31に投稿されたエントリーのページです。

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